高野宮は愛知県名古屋市中村区横井二丁目にあります。
高野宮の創祀
伊勢神宮の歴史書「金凰抄」によれば、平安中期の寛治元年(1087年)、伊勢豊受大神宮(外宮)の荘園として、濃尾平野南部に設けられた神宮尾張御厨「一楊荘」(田・六十二丁、畑・二十五丁)の中心神社として、加えて政所として、創祀されました。
名称は豊受大神宮の第一別宮(荒祭の宮)であられる高ノ宮(現多賀ノ宮・明治に改称)に同じ。
途中、大正12年(1584年)、小牧長久手会戦の前哨戦の下之一色蟹江会戦の折、荘園領主は鎌倉、室町と時代を経る中で、成功(じょうぞう)が繰り返され、西部(厨川・現庄内川)の西が延暦寺領、鎌倉円覚寺領に、東部が内宮領へと変遷するも、神事に於いては、歴代社家の二村家により、一楊庄内70数社の中心神社として、昭和中期まで尊崇せられた。
幕末までは高野宮大神宮とも称された。
兵火に罹ったが、当社を祈願所として崇めていた前田家により復した。
後に前田家が加賀百万石に栄転の後、幕末まで祭礼には毎年幣白が献上された。